退勤の車の中で「明日の最高気温は22℃、最低気温は3℃です」と聞くと、果物に生まれたかったな、と思う。温度差があるほうが、果物は甘くなるんじゃなかったっけ。
仕事でいいことがあったので、これ以上望むべきじゃないと思いつつ、全然マッチングアプリから出会えないので落ち込む。私は本当に人と繋がりたいなんて思ってる? 心の余裕がないのに?
4年以上恋人がいないのは、17歳に恋人を無理やり作って以来初めてのことだ。しかし、32から36の4年間、恋人がいないなんて大した問題じゃない。もう誰かに対して「恋人がいる自分」を演出する必要はないのだ。それをするなら、「誰かの妻である自分」だろう。

異性との間に性を介在させるの、もういいな。しかし、性的関係を持たない関係を築けるほど悟りを開けていない。セルフプレジャーのために壊れる小型電化製品や、削除されてしまうYouTubeの動画、価値をなくしていく自分の年齢、その年齢でもいいのにという男性、全部不快。自分の性欲を肯定できない。
人と触れあって、体と脳がひとつの線で繋がっているんじゃないかという感覚、この世界に生きてても許されるという強烈な肯定感、そして体だけに価値が見出だされているという虚しさ。体だけじゃなかった、と寝た人は言うのかもしれない。いや、もうあなたと寝られませんと言ったら、その人はへそを曲げるような気がする。もう二度と会うことはないけれど。

何も考えず溺れてみたかった。きっと溺れた先で、掴む藁が全部沈む。
生活と恋愛が結びつかないから、やっぱり果物になりたい。