孤独を埋めたくても設定に無理があった

トラウマというものは、原因を究明することよりも、今やるべきことをやることで解消されていくものらしい。
過去の悲しい出来事がフラッシュバックしてしまうのは、義務を放棄しているせいなのだろうな、と思った。子供の頃の私が部屋で泣いている。どんなに辛くても、誰も慰めてくれない。
あの頃の私は、いつか大人の男の人が自分を慰めてくれるのだろうと思っていた。男の人によって幸せにされることを、疑いもなく夢見ていた。
けれどそれは結婚ではなかった。結婚は、自由のないものだし、家と家とのものだと感じていたから。

悲劇のヒロインぶっている女の子に、まともな男性は寄ってこない。そもそもまともかどうか別として、優しくされると怖いんだと思った。
正しくない行為をしては自分を責めていたけれど、あなたは寂しいからそうするんでしょうと言われたとき、またポロっと相手の前で言ってしまったとき、安心と同時に怖くなった。泣いているときは電話してくださいね、と言われたときもそうだ。
彼らの気持ちは善意が含まれているのかもしれないが、支配欲とか、好奇心も含まれている。
普段張りつめていて弱味を見せない女が、時折見せる隠した部分を見たいだけなのかもしれない。それっていい関係なんだろうか。
それで救われる人も確かにいるんだろう。きっと私はそうじゃない。
相手の弱味を見ることも多かった。弱味というほどではないのかもしれない。面白いくらい男性は弱音を吐く。引き出しているのではないかと思うくらいに。
同じことだ。弱いところを見せたって、弱音を吐いたって何も変わらない。
もっと成長しなくては。
それでもやっぱり、少しだけ許されたいなぁと思ってしまうのである。許されることを甘んじて受け入れられる人間だったらよかったなぁと思う。