寂しいというだけで頑張れたのは昔の話

数年前まで恋人を作ることに必死だったのは、それが私にとって切実なことだったからだ。暑くて汗をかけばハンカチで汗を拭うことや、寒ければマフラーを巻くことと、恋人を作ることは同じだった。たぶん。
もう汗をかかなくなったのかもしれない。マフラーを巻かず、タートルネックを着るようになったのかもしれない。そういえば、お気に入りのチェックのコートに合うマフラーは見つかっていなくて、田舎に住み、車で移動する私は、そんなにマフラーをしないのだった。

平日にショッピングモールに行ってカップルを見ると死にたくなり、1人でいることが悲しくなって、マッチングアプリなどをまたダウンロードするが、そもそも平日に一緒にショッピングモールに行く異性を探す、ということで対象が絞られてしまう。近くに住んでて、平日動ける人でないとダメだ。そして、自分の都合のために誰かを探すのはいかがなものか。

寂しさに今でも襲われる。でも、恋人がいたところでその寂しさが解消されるかというと、よく分からない。そのとき寂しさが埋まったところで、いつかは別れてしまうんだ。いつかは別れないために付き合うんだったら、それは結婚という通過点を目指した付き合いをしなくてはいけない。
とかぐちゃぐちゃ考えていると、結局何がしたいのか分からなくなる。平日にショッピングモールでデートしたいとか、きつく抱きしめられたいとか、そういうことがマッチングアプリで出会った相手と出来る気がしないのだ。まずやり取りをするのが難しいのだから。

やっぱり1人で生きるしかない。ちゃんと頭が整理されて、まともに生きてると自信が持てるまでは。
いっそ男性に産まれて、好きなセクシー女優とかグラビアアイドルのイベントに通い詰めたかったなぁ。