昔描いた夢の私は女子高生で

最近、夜に5回くらいトイレに行く。お陰で全く熟睡できず、苛立ちを覚えて日中過ごす。
最近の気温が高すぎやしないだろうか。熱っぽくて体温計を脇に当てるも平熱である。
地に足が着いていない感じ。考え事ばかりしている。

地球が誕生して、これからどうなっていくのかを考える。何故人間は生まれたのか。動物と違って、発情期が決まっていないこととか、色々発達しすぎてしまったとか、そういうことだ。
こういうモードに入ったら、特に寂しくなることがない。ただ、私は子供を産む予定はなく、弟夫婦にも子供はいないので、そこで子孫は途絶えるんだな、と思う。結婚して子供を産む、というのはハードルが高いが、孫やひ孫は欲しかった。非現実的な話だ。
愛だの恋だのにものすごく焦がれて、それを手に入れられないまま今世は終わるような気がする。それはそれで仕方がない。

根っからの夢女子で、現実の男性をちゃんと好きになることが出来なかった。最近の妄想の中では、私は女子高生か大学生である。少し年上の頭の良いお兄さんに甘やかされる、清楚で賢い、少しドジな女の子である。
誰も私が年上に甘えたかったことを知らない。本当は甘え方すら分からないのだ。だから夢見ている。ずっとずっと白昼夢を見てる。

分からない人には分かりません

私の胸はGカップある。
父方の祖母はFカップで、叔母も従姉妹も同様。完全に遺伝だ。ちなみに母方の家系は皆華奢。どうせならそちらに似たかった。
胸が大きいことがコンプレックスか? というとまぁそうである。今は特別に困っていない。

胸を見られることは全然平気で、減るもんじゃないし、どうぞ見てくださいと思っていた。こちらがそういうスタンスでいれば、意外とセクハラはされないものだ。
しかし、27を過ぎたあたりから悩み出す。
胸が邪魔をして服が可愛く着こなせない。
当時の私は今より痩せていてF75だった。ガーリィなワンピースやJSKは全部妊婦さんのようなシルエットに見える。
体重が50kgを切っても、骨格の関係でアンダーは細くならない。それでもE70になると、着られる洋服の幅はグッと広がった。

胸が大きいから単純に入らない服、苦しい服、というのもある。今となっては、仕事上体のラインが極力目立たない服しか着ない。もう全体的にメリハリがないので、そこまで悩まなくなった。

同性であっても、サイズの違う女性の服のことなんて分からないのだ。上半身が華奢すぎて、似合わない服があることは想像出来るが、辛さが分かるわけじゃない。
痩せている女性は標準からやや外れた女性の服のサイズが分からないらしく、細いサイズをすすめてくるなんてこともある。バイト先のギャルは、どう見てもぽっちゃりな自分に最初ウエスト61のパンツを渡した。

ファッションに多少知識がある女性すらこうなのだから、男性に理解してもらうのは至難の技なのだろう。男性にとってグラマーサイズの女性というのはそんなに身近にいるものではないだろうし、グラビアやセクシー女優しかイメージ出来ない人もいるかもしれない。彼女たちのスリーサイズはフィクションだけど、それを鵜呑みにしている人は少なくないかもしれない。
ちなみに、私は異様にグラマー女性に遭遇する確率が高い。実際にスレンダーでEカップあっても、見抜けない人は多いのではないかと予想する。

私のような例外はカウントしないでもらうとして、多くのグラマー女性は胸が大きいことを称賛されたいわけではない。過度にそこに触れないでほしいし、ほんの少しでいいので、胸が大きいと洋服選びに困ることがあるということを心に留めておいてほしい。






そして、超絶余談だが、胸が大きくても性的対象に見ない男性はいます。交際した男性の半分くらいと性的交渉に至っていません。
それをおかしいと言うのもやめてほしいです。
胸が大きいことをセックスアピールとするのはファンタジーであって、それを現実に持ち込むのはやっぱり嫌だな、と思う。

マッチングアプリで素敵な女性と知り合った人がめでたくお付き合いした、という話を聞いたが、よく聞いたら出会いはマッチングアプリではなかった。
地元でマッチングアプリを介して出会い、そのまま付き合うってかなりレアなんじゃないだろうか。

私が通っていたのは私立の女子校で、後輩にはテレ東のアナウンサーやモデルがいる。可愛い子がとにかく多かった。
文化祭の代わりに毎年バザーがあり、そこに可愛い子達の知り合いの男の子がやって来る。20年前の男子高校生なので、ギャル男崩れと言った感じだが、皆容姿は良かった気がする。
あの男女はきっとマッチングアプリなんて使わない。

私の周りにいた、高校生の頃彼氏がいなかった子達は、大学生になってモテだしたり、社会人になってモテだしたりして、当たり前のように合コンへ行き、彼氏ができている。私も合コンに参加したりはしたが、皆宇宙人を見るような目で私を見ていた。
趣味の合う人を探すには、ネットしかなかった。いや、ライブハウスに通えばよかったのかもしれない。けれど、私は地元でバンド活動をしている人と繋がりを持つことはしばらくなかった。
ごく普通に生活をして、人と交流をしていれば出会いがある。地元はそういうところだ。そんなに容姿が優れてなくても、人との繋がりがあればどうにかなってしまうところがある。
これはもちろん、性別によるところもある気はする。男子が多い高校へ行って、そのまま就職したら、ほとんど異性と関わることはないかもしれない。まぁ、女子校からその年に共学になった短大に進学したので、男性と関わりのなさそうな女性もたくさん見たのだけれど。

なんだか頭でっかちなのだ。
16~22まで、ネットで出会った男性としか関わらなかった。短大には男子はいたのだが、私は自分から話しかけるのが苦手だったので、メールでやり取りすることが多かった。当然付き合うこともない。
おまけにネットで関わって、すぐ性的なことをして切られる、という有り様だった。結局そこから進まないまま、20年経ってしまった感じだ。

どうすればよかった? するべきことがいっぱいあったんだろうな。きちんと仕事に打ち込むとか。勉強もそうだ。
妥協しておけば良かったとは思わない。悲しいくらい、20代半ばまでの私はどの異性からも必要とされず、愛されなかった。
そして、こちらが自然と相手への興味を失くすと、向こうはものすごく追ってくる例もあるのだと知った。でも、追われるのは気持ち悪かった。

マッチングアプリには追うも追われるもない。30代前半のときはガツガツしている男性にたまに当たったが、30代半ばになれば、惰性でいいかもを送っているんだろうな、といった感じだ。マッチングしてもメッセージは来ないし、必ず途中で途切れる。仕方ない。私は塩対応だし、普通の女性の枠に入れないのだから。
ものすごく小さくなった恋の幻想をきっと追い求めている。本当は、体も心も誰かで満たされる準備すら出来ていない。

NHK第2で、定時制通信制の高校に通う人たちのスピーチ? 作文? を放送していた。仕事の移動中に聞いていたのだが、静かに泣いていた。車の運転の支障にならない程度に。
その高校生は自分とよく似ている人ばかりだったからだ。
枠に嵌まれない人、というのはたくさんいる。そして、枠に嵌まれなくてもいいや、という人と、どうしても枠に嵌まりたい人、色々いるのだ。

特に心を打ったのは、学校生活をバンジージャンプに例えていた男の子。小3から起立性調節障害でなかなか学校に通えなかったという彼。学校生活をバンジージャンプに例えるあたりセンスを感じるが、文章が美しいというか、言葉のチョイスが素晴らしかった。授業で川柳を習い、女性の涙をくちなしに例えた川柳を作って賞に応募したそうである。これがまた美しい。10代か20代でそのような川柳を作るのも素晴らしい。彼は子供に勉強を教える楽しさを学んだそうで、将来は小学校の先生になりたいそうだ。
小学校の先生が大嫌いで、学校も嫌いだった自分にとって、こういう人が先生になったらいいだろうな、と思った。ちなみに地元の公立の小学校には、見事に枠の中でトップみたいな先生しかいなくて、枠の外の私は白い目で見られていた。

もう1人は中国の東北部の農村出身の女性。1983年生まれだそうだ。もうこの人は今までの人生が波乱万丈である。1本ドラマが作れそうだ。
生まれた農村はとても貧しく、身を粉にしても稼げない。父親は暴力をふるい、近所の人の所に兄弟と共に逃げていた。高校へと進学したものの、仕送りが滞り、退学せざるを得なくなる。
しかし彼女は諦めず、一生懸命働き、日本語学校へ通った。日本語の能力を活かし、国際空港に勤めていたそうだ。やがて、中国に来た日本人男性と結婚し、学歴が中学校であることを気にしていることを夫に告げると、現在の定時制高校を薦められ、入学する。今ではさらに大学進学を目指しているという。
後半、生まれた息子を両親に見せた話が出てくる。彼女は自らも親になり、親の苦労がわかるようになったそうである。そして生まれてきたことを感謝し、境遇を嘆くだけでなく、努力することが大切だ、と言っていた。
きっとこういう話を聞いて、綺麗事だとか、皆が努力出来るわけじゃないとか、色々言う人がいるだろう。しかし私は心を打たれた。だって、彼女と私は1歳しか年が変わらない。生まれた国が違うだけでこんなに境遇が違うのだと思ったし、勉強に対する意欲が素晴らしいと思ったし、何より親を許すことが出来るのは凄いと思った。

自慢出来ない程度にほんのり不幸な幼少期で、でも定時制高校に通う彼らが高校の先生や、クラスメイトに助けられたように、中学校の先生や塾の先生には助けられた。そういう意味では私は恵まれていた。あなたは感受性が豊かだ、素晴らしい感性だ、勉強に対する意欲があると褒められた。
家庭で褒められた経験がない私にとって、それはどれほど貴重なことだったろう。私も彼らと同じ年齢になったらそうなれるのだろうか。自信はまだない。

なぜか私は今、教育業界の端っこにいる。自分を変えてくれた先生たちに憧れたのではない。気付いたらいた。
辛い思いをして、乗り越えた人間にしか伝えられないことと教えられないことがある。まだ乗り越えている最中だけれど、原点を忘れないようにしたいと思った。

子供の頃からずっとお腹が出ているのが悩みで、何度もお腹を凹ますトレーニングをしているが、続いたためしがない。なぜか26~28くらいまでは痩せていて、お腹が出ていなかった気がする。お腹が出ているのは腰のせいでもある。22から悪そうな腰だと言われていたし、立って洗い物をするだけで腰が痛くなることがある。
痩せたい女性の皆さんは、脚を細くしたいと言う。モデルみたいに細くてまっすぐな脚に憧れているのだろう。脚は諦めている。というより、決して細くはないが脚はそんなにコンプレックスじゃない。ここ最近は太ももの太さがさすがに気になるが。

すぐにでも結婚したい他県の男性からいいねが来た。V系と女性アイドルが好きで、持ち家があり、すぐにでも結婚したい、らしい。個人的には近代文学が好きなところが気になったが、私は出来ることなら、今住んでいる家か、もう1つの家に住みたいので、持ち家があるのは微妙である。いや、何よりも他県に住めない。私は地元で独立をするのが夢なのだから。
しかし人からメッセージが欲しいわけだし、進展するかもわからないし、年もまぁまぁ近いし見た目もどちらかと言うと好みなのでいいねを返す。しかし、まったくテンションは上がらないのだった。
48グループが好きという共通点はあるものの、推しメンはまったく被らない。何より、友達としてはいいが、女性アイドルが好きな男性を恋愛対象として見ることはできない。いや、恋愛をすっ飛ばして結婚て考えればいいのでは? いや、それなら最初からアイドルの話をする必要はないのでは…
私は関係を深めるなら、女性のタイプを知りたくない人間なのだ。過去に、久しぶりに会った恋人が仲間由紀恵をずっと褒めちぎっていたのでそのまま帰ったし、好きな人が綾瀬はるかを褒めていたときも帰りたかった。自分の前で他の女性を褒めてほしくないのだ。最悪褒めてもいいが、フォローが欲しい。

結局私が異性に求めていることがはっきりしないから、こんな曖昧な事態になる。人と話したいのだろうけど、人を受け入れたり理解する余裕があるかというと謎だ。

恋をすると、相手のことを深く知りたくなる。理解したくなる。そういう感覚を味わいたい。まだ、難しそうだ。

体毛は剃らないで

昨今、体毛を処理せよという風潮が強すぎる気がする。女性だって体毛は生えるし、男性の体毛までも処理したほうがいいなんて、個人的には冗談じゃない、と思ってしまう。

私自身はVIOを除き、比較的体毛が薄い体質だ。これは遺伝で、家族全員体毛が薄い。父も弟も体毛が薄く、毎日髭を剃る必要がないらしい。
高校生のとき、友人が太ももの毛の処理の話をしていて、私はなんの悪気もなく「え? 太ももに毛なんて生えないよ」と返してしまった。ものすごく怒られた。10数年間生きてきて、太ももに生えている毛を見たことがなかった。
いや、厳密には中学校までは共学だったのだから、太ももに毛が生えている男子はいたのだと思う。膝から下はなんとなく見るが(私は脚の筋肉が好きだ)、太ももなんて見ないから記憶がない。

つまり、見慣れてない体毛というのは神秘で、ちょっと体毛が濃い人に惹かれてしまうことがある。特に上半身に毛が生えているといいなぁと思う。完全な少数派なんだろう。体毛が濃いことを気にしている男性はものすごく可愛らしく感じる。お願いだから剃らないでくれ。

もう会えないであろう好きな人も、全ての体毛が濃かった(全身くまなく見たわけではないが)
豊かな伸ばしっぱなしの直毛の髪の毛、生やしている顎髭、胸毛とお腹の毛。写真を見て一目惚れしたときは髭しか分からなかった。結局その体毛を身近で拝むことは叶わなかったけど、体毛が濃いことは自分にとってはプラスでしかなかった。
世の男性は毛を処理する前に、交際している女性がいたら処理していいか確認してほしい。いや、絶対に少数だけど。

退勤の車の中で「明日の最高気温は22℃、最低気温は3℃です」と聞くと、果物に生まれたかったな、と思う。温度差があるほうが、果物は甘くなるんじゃなかったっけ。
仕事でいいことがあったので、これ以上望むべきじゃないと思いつつ、全然マッチングアプリから出会えないので落ち込む。私は本当に人と繋がりたいなんて思ってる? 心の余裕がないのに?
4年以上恋人がいないのは、17歳に恋人を無理やり作って以来初めてのことだ。しかし、32から36の4年間、恋人がいないなんて大した問題じゃない。もう誰かに対して「恋人がいる自分」を演出する必要はないのだ。それをするなら、「誰かの妻である自分」だろう。

異性との間に性を介在させるの、もういいな。しかし、性的関係を持たない関係を築けるほど悟りを開けていない。セルフプレジャーのために壊れる小型電化製品や、削除されてしまうYouTubeの動画、価値をなくしていく自分の年齢、その年齢でもいいのにという男性、全部不快。自分の性欲を肯定できない。
人と触れあって、体と脳がひとつの線で繋がっているんじゃないかという感覚、この世界に生きてても許されるという強烈な肯定感、そして体だけに価値が見出だされているという虚しさ。体だけじゃなかった、と寝た人は言うのかもしれない。いや、もうあなたと寝られませんと言ったら、その人はへそを曲げるような気がする。もう二度と会うことはないけれど。

何も考えず溺れてみたかった。きっと溺れた先で、掴む藁が全部沈む。
生活と恋愛が結びつかないから、やっぱり果物になりたい。