NHK第2で、定時制通信制の高校に通う人たちのスピーチ? 作文? を放送していた。仕事の移動中に聞いていたのだが、静かに泣いていた。車の運転の支障にならない程度に。
その高校生は自分とよく似ている人ばかりだったからだ。
枠に嵌まれない人、というのはたくさんいる。そして、枠に嵌まれなくてもいいや、という人と、どうしても枠に嵌まりたい人、色々いるのだ。

特に心を打ったのは、学校生活をバンジージャンプに例えていた男の子。小3から起立性調節障害でなかなか学校に通えなかったという彼。学校生活をバンジージャンプに例えるあたりセンスを感じるが、文章が美しいというか、言葉のチョイスが素晴らしかった。授業で川柳を習い、女性の涙をくちなしに例えた川柳を作って賞に応募したそうである。これがまた美しい。10代か20代でそのような川柳を作るのも素晴らしい。彼は子供に勉強を教える楽しさを学んだそうで、将来は小学校の先生になりたいそうだ。
小学校の先生が大嫌いで、学校も嫌いだった自分にとって、こういう人が先生になったらいいだろうな、と思った。ちなみに地元の公立の小学校には、見事に枠の中でトップみたいな先生しかいなくて、枠の外の私は白い目で見られていた。

もう1人は中国の東北部の農村出身の女性。1983年生まれだそうだ。もうこの人は今までの人生が波乱万丈である。1本ドラマが作れそうだ。
生まれた農村はとても貧しく、身を粉にしても稼げない。父親は暴力をふるい、近所の人の所に兄弟と共に逃げていた。高校へと進学したものの、仕送りが滞り、退学せざるを得なくなる。
しかし彼女は諦めず、一生懸命働き、日本語学校へ通った。日本語の能力を活かし、国際空港に勤めていたそうだ。やがて、中国に来た日本人男性と結婚し、学歴が中学校であることを気にしていることを夫に告げると、現在の定時制高校を薦められ、入学する。今ではさらに大学進学を目指しているという。
後半、生まれた息子を両親に見せた話が出てくる。彼女は自らも親になり、親の苦労がわかるようになったそうである。そして生まれてきたことを感謝し、境遇を嘆くだけでなく、努力することが大切だ、と言っていた。
きっとこういう話を聞いて、綺麗事だとか、皆が努力出来るわけじゃないとか、色々言う人がいるだろう。しかし私は心を打たれた。だって、彼女と私は1歳しか年が変わらない。生まれた国が違うだけでこんなに境遇が違うのだと思ったし、勉強に対する意欲が素晴らしいと思ったし、何より親を許すことが出来るのは凄いと思った。

自慢出来ない程度にほんのり不幸な幼少期で、でも定時制高校に通う彼らが高校の先生や、クラスメイトに助けられたように、中学校の先生や塾の先生には助けられた。そういう意味では私は恵まれていた。あなたは感受性が豊かだ、素晴らしい感性だ、勉強に対する意欲があると褒められた。
家庭で褒められた経験がない私にとって、それはどれほど貴重なことだったろう。私も彼らと同じ年齢になったらそうなれるのだろうか。自信はまだない。

なぜか私は今、教育業界の端っこにいる。自分を変えてくれた先生たちに憧れたのではない。気付いたらいた。
辛い思いをして、乗り越えた人間にしか伝えられないことと教えられないことがある。まだ乗り越えている最中だけれど、原点を忘れないようにしたいと思った。